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歴史の小径(戦国武将)
武田信繁(たけだのぶしげ)
甲斐国武将。大永五年(1525)父信虎の次男として生まれる。武田二十四将の一人。兄は晴信(信玄)。幼名は次郎。左馬助、典厩。晴信の右腕であり文武両道に長けた武将であったと云われている。信繁の残した武田信繁家訓は武田家の家法の基になった。この時も信繁は晴信に従っている。二百騎馬持ちの親族衆として永禄四年(1561)年九月十日、第四次川中島合戦にも参戦するが、山本勘介の啄木鳥戦法の失敗により武田家には多数の死傷者が出た。信繁もその一人であった。